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どこまでもどこまでも

執筆者の写真: 超法寺の住職超法寺の住職

皆さま、こんにちは。

温かな日差しが有り難いですね。

また台風が近づいています。

今のうちに謳歌しておきたいですね。

三連休は荒天になるそうですから。


さて今日は所用で千葉市まで来ています。

6年前まで住んでいた懐かしい場所。

今は埼玉県人ですが。


まだ母を見送って悲しみが癒えないですが、次から次へと【老】は待ったなしです。

どんなに屈曲な人でも必ず衰えたいきます。

悲しいものですね。

人が生きていくということは諸行無常真っ只中。


明日は我が身ですよね。

お見舞いへ行くといつもそう感じます。

あの人がこんなにも弱々しくなってしまうなんて。

かける声もなく、ただただ側で見ているほかありません。我が身の無力さを痛感しました。


このような私だからこそ、阿弥陀如来さまは大きな願いをかけていてくださるのですね。

ただ一方的に•••。

人間は【老】【死】のうちにはただ無力です。

頼む力すら無い。

だからこそ、阿弥陀如来さまは先手を打ってはたらきづめなのでありますね。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏


元気だった頃にはあれほど南無阿弥陀仏を力強く言われていたあの人が今は懐かしいけど、もうあの姿を見ることはできないのでしょうね。


だからこそ、【今】元気なうちに阿弥陀如来さまの【ご本願】に遇わせていただきませんとならないのでしょうね。


《われ称え われ聞くなれど 南無阿弥陀 つれて

いくぞの 親のよびごえ》原口針水師


皆さまも、あらゆる人たちが結んでくださった仏縁を大切にしてくださいね。

そして何より南無阿弥陀仏を我が身にいただいておいてください。


間に合わないで後悔しないためにも。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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