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執筆者の写真超法寺の住職

どこまでもどこまでも

皆さま、おはようございます。

暑さは少し落ち着きましたが、大雨災害に遭われた方々にはお見舞い申し上げます。


改めて私たちの生きるこの人間世界は無常であります。どんなにないように願っても有ることばかりであります。


他の人のことはよくわかるというのに、自分のことになりますといつも【まさか】であります。


どんなにお聞かせいただいても、それでも自分のことはてんでわからない愚かなものであります。


【老】るのに、老ないことばかりにあくせくしますよね。


【病】になるのに、マスクもしないでアルコール消毒もスルーしてしまう。肺疾患で苦しむリスクや癌になるリスクが半端ないのに、それでも【喫煙】がやめられない。電子タバコなら•••とごまかす。暴飲暴食も病のリスクが半端ないというのにやはりやめられないのだから悲しい。


【死】生まれてきたものは必ず死んでいかねばならないのに、大切な人に先立たれると悲しみ苦しみます。また、死んだらどうなるのかを問わない。《死ねば仏》とか、《浄土真宗だから安心》などと真面目に言うのだからこれまた悲しいことです。


皆さまは、大丈夫でありましょうか。

私ができることは、やはり最低限、父母より先に死なないことぐらいしかできそうにありません。

これも、どんなに願ってもそうなるとは限らないよ。だって無常世界に身を置いているのだから。


じゃあ、どうすれば?


今、お聞かせいただくのですよ。

【仏の生起本末(しょうきほんまつ)】を聞くのです。

聞いて素直に受け止めて、ただ念仏申しながら生きていくのです。

おまかせです。


無常世界に身を置いていることにすら気づくことなく生きている私を思って、先回りをして仕上げていてくだされた阿弥陀さまの願いを知ることが何より大切なのです。


なかなか聞けるものではありません。

だって、人間は仏法を聞くのが嫌いなんだから。

だから、先回りして仕上げていてくださるのですから。


つまり、頼まない、聞かない、喜ばない、この私だというのに阿弥陀さまは、何一つ責めもせずにはたらき続けておられるのですから。


もう私の側に足らないものなどありもしないのに、仏心に背を向け続けわがままなことばかり祈願しているのだからお恥ずかしいです。


それでも、それでも、阿弥陀さまは決してそんな私を見捨てず、見守り続けておられるのです。

どんなにどんなに裏切られても、蹴散らしても、「あなたを救えないなら、私(阿弥陀)は、決して仏にはならない!」という親心をもって私をお気づかせをくださるのです。


南無阿弥陀仏、ナンマンダブツと、喚び続けておられるのです。

その親心が私に届いた時に、初めて私の愚痴ばかりの口からお念仏が南無阿弥陀仏が声となって出てくださるのです。


こうなって初めて私が必ずお浄土へ参らせていただいて仏にならせていただくことができるのですね。


私がどんなに頑張っても私の側では決して参ることなどできないのだから。

仏願のみにて参らせていただきます。


皆さま、今年の盂蘭盆こそ先人の想いを受け止めてお聞かせいただきませんか?

それが私ができる【感謝と恩返し】であります。


私はおかげさまでお母さんが愚かな私に人生をかけて届けてくださいました。


【み仏の ちかいを信じ 尊いみ名を称えつつ 強く明るく生き抜きます】(浄土真宗の生活信条より)


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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