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どうして蓮如上人は吉崎に

「去んぬる文明第三初夏仲旬のころより、にはかにこの方をしのびいでて、

北国におもむきし由来は、まつたく名聞利養のためにあらず、また、栄華栄耀をもこととせず、そのゆへは、大津にひさしく居住せしむるときは、ひとの出入につけても、万事迷惑の次第これおほきあいだ、所詮北国に暫時も下向せしめば、この方出入の儀退転すべきあいだ、風度下向するところなり。

つぎには、北国方のひとの安心のとほりもしどけなきやうにおぼゆままに、覚悟にをよばず、一年も半年も逗留すべきやうに心中におもふところに、この四、五年の堪忍は存のほかの次第なり」


この御文に、蓮如上人は、吉崎に行かねばならぬ、事情と意思とを明確に語っておいでになります。


蓮如上人が吉崎においでになった事情と願は二つありました。

一つは、名聞のためでもない。まして栄華栄耀のためでもない。

ただ、大津に顕証寺が出来て、人の出入がおびただしくなって、これがために、

再び山門の弾圧を受ける危険性がある。これを避けるために、一時、居処を変えたのです。私(蓮如)がいなければ、集まってくる人も、少なくなるであろう。

顕証寺は立派に出来上がった。本願寺始まって以来の立派なお寺となった。

正門、通行門、御影堂、本堂、客殿、接待所、庫裡、茶所、門徒の詰所まで出来上がった。

従って、群参はふくれ上がるばかりであった。群参は群参を呼ぶ。

夜も、昼も馳せ集まってくる門徒は、蓮如上人は困ってしまわれた。

逃げ出すより外に道がなかった。

二つには、北陸の異端者との戦と親鸞教の顕彰であった。


文明三年七月二十七日に吉崎の御坊ができあがった。

文明四年の頃、俗人法師らが、たくさんやって来て、この山中の様子を見て、

「そもそも、この山中の坊主達の名は、なんと申されるのだろう。ここは、

ついこの間まで、虎狼野干の臥所(ふしど)で、家の一軒もなかったところだったのに、あら不思議や、今は都にて候、人間業とも覚えず候」と。


加賀、能登、越前の門徒はの面々が、各自の宿泊所をつくり、これを多屋と号して、

今は、もう二百軒も棟を並べている。真中には馬場の大道を通して、北には北の大門、南には南の大門が出来、要害もよく、これ程に面白い在所はないといわれる。

こも山中を、経迴する人は、蓮如上人流に言うなら、幾千万とも言うべき繁昌振り

であった。


蓮如上人の画期的な伝道

 「御文」(御文章)を出されたことであります。

 親鸞聖人の御信心の御様子を、百のものを十にし、十のものを一つにして、

 誰でも聞かせていただくだけで、心の底から納得のいくように、おしるし

 下されたのが御文(おふみ)であります。

 当時の一般庶民は、いわゆる愚民で、字の読めるものは、ほとんどいない。

 坊主と庄屋の爺さんくらいであった。だから、みんんは、この人達に読んでもらっていただくのであった。

 難しいものは、心に届いて下さらないから、耳から腹の底に、そうだとお受けができることが、一番大切な御文の要素うであった。

 蓮如上人の御文は、名文であるから、短いものはみんな覚えてしまったであろうし、長いものは坊さんのお説教のテキストになって、毎月二十八日の講(法話会)に、

 お互いの信心の談合をしあって、俺の信心は、お前の信心はと、話し合ったのだろう。


代表的な御文「猟すなどりの章」

 「それ、当流の安心(あんじん)のおもむきは、あながちに、わがこころのわろきをも、また、妄念妄執(もうねんもうじゅう)のこころのおこるをも、とどめよというにもあらず。ただあきないをもし、奉公もせよ、猟、すなどりをもせよ。

かかるあさましき罪業にのみ、朝夕(ちょうせき)まどいむるわれらごときのいたずらものを、たすけんとちかいまします弥陀如来の本願にてましますぞとふかく信じて。

一心にふたごころなく、弥陀一仏の悲願にすがりて、たすけましませとおもうこころの一念まことなれば、必ず如来の御たすけにあずかるものなり。」


これほどに明確に「信」を語った人はいないと思います。

一心に、さらに二心なきとまで註釈をつけ、弥陀一仏の悲願にすがってとは、いかにも具体的である。縦横無尽に言葉を使って、明快に「信」の一点を語り尽くす御文の素晴らしさを思います。


蓮如上人の熱意があればこそ、現在の浄土真宗が日本一の仏教教団として私たちの最も身近な宗派として、日々の安らぎとなっているのではないでしょうか。

御文章は、「耳で聴聞」するものです。聞く際には、少し目線を下げて耳を澄ませて

聞いてみてください。もちろん一緒に拝読することも素晴らしいでしょうが、法話の後にお聞かせいただく「聖人一流章」(私は『信心獲得章』が好きです)を耳を澄ませてお聴聞してみてください。心の底からスッキリしますよ。

南無阿弥陀仏

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