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ただ念仏してとは

皆さま、こんにちは。今日はまた冷えます。

日差しもどこかへ行かれてしまいました。

また寒波の到来でしょうか。

被災地の皆さまにもお辛い毎日でしょうが、くれぐれもお身体には十分ご自愛くださいませ。


さて私たちは「縁」によってさまざまな出会いを重ねています。会うべき縁の中でさまざまな人間ドラマを経験するのです。

その中で【生死出(い)ずべき道】を求めていくのです。苦悩の中にあって、どうすればこの苦悩から脱却することができるのだろうか。


親鸞聖人のご和讃に、

 曠劫多生(こうごうたしょう)のあひだにも

 出離(しゅつり)の強縁(ごうえん)

 しらざりき 本師源空いまさずは

 このたびむなしくすぎなまし


と、おっしゃっておられます。

これは親鸞聖人が法然聖人との出遇いを深く感動を込めてのお言葉でしょう。

良き師との出遇いがなければ、迷いの世界に流転して、如来の本願力に導かれることもなく、ただいたずらに日を過ごしていただろうと思いを語られています。


『歎異抄』にも、

親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけ

られまゐらすべしと、よきひと(法然聖人)の

仰せをかぶりて信ずるほかに別の仔細なきなり


と述べられています。

親鸞聖人にとって法然聖人との出遇いは、取りもなおさず求めざるに求めていたという【本願】のまこと、大悲の深さに遇い得たという感動でありました。


【ただ念仏して】という選びと決断は、人間として「生」をうけた上で、最も尊きものに遇い得たよろこびにつながるものであったはずです。

それ故に、

たとひ法然聖人にすかさるはまゐらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候

と言い切ることができたのでしょう。


【人生は出会い】というのは、まさにこのような出会いをすることを言うのでしょうか。

皆さまは、このような生涯変わることなく慕うことのできる「師」との出会いをされていますか。

私はおかげさまで、そのような「師」がたくさんいてくださいます。【善知識】とのお出遇いが愚かな私をここまで導いてくださいます。

南無阿弥陀仏をお称えすることも、「師」ではないでしょうか。決してあなたを見捨てない阿弥陀さまとの出遇いは、苦悩の人生を豊かなものとしてくださいますから。


どんな人生も、南無阿弥陀仏の声を聞く生活は常に私の人生の「灯」となってくださいます。

悩みながらも私にちょうど良いものとなって寄り添ってくださる阿弥陀さまがご一緒くださるのですからね。

縁もゆかりもなかったこの入間市に来てお出会いさせていただけた方々は、きっと私にとってはそんな素晴らしいお出会いだったのでしょう。もちろんホームページを閲覧くださる方も私には大切な友人であります。

いつもブログを見てくださりありがとうございます。感謝申し上げます。南無阿弥陀仏

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