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そうだ、嬉しいんだ、生きる喜び

皆さま、こんにちは。今日は沖縄で津波注意報が出ましたね。

遠いところだからと無関心ではいけませんよ。

この世は皆繋がっているのですから。

皆さまはいつも何のために生きているのですか?何をしてどこへ向かって

生きておられるのですか?

学校や会社へ行くために?それは何のために?豊かになるためですか?

未来のために生きているのでしょうか。

西本願寺の前ご門主の大谷光真さまは自身の著書『朝に紅顔ありて』(角川書店発行)の冒頭に、「人はなぜ生きるのでしょう」という問いに対して、「その答えを探すために生きるのです」「答えを急がず『生きる』ことの意味をともに考えて参りましょう」と述べられておられます。


大谷光真さまは、学生対象の宗祖降誕会の挨拶で、「何のために生まれてきたのか。これは大変難しい問題であり、大人でもなかなか答えることができません。けれども、これは一人ひとりが考えていかなければならない問題なのでしょう。(中略)浄土真宗のみ教えに遇うために生まれてきた。そう受け取れたら幸せなんでしょうけれど」と少し控えめにおっしゃっておられたことを思い出します。

ここに一つの答えが出ておられるのですね。


さて今月は仏教をお開きくだされたお釈迦さまのお誕生日です。

では、お釈迦さまは何のために生まれてきたのでしょうか。

親鸞聖人の「正信偈」に、「如来所以興出世(にょらいしょいこうしゅっせ)唯説弥陀本願海(ゆいせつみだほんがんかい)」

【如来、世に興出(こうしゅつ)したまふゆゑは、ただ弥陀の本願海を説かんとなり】

とあります。

「お釈迦さまは阿弥陀如来のご本願を説く為である」といっています。

そうです、ここなのです。私たちがこの世に生まれてきた意味は。


浄土真宗のみ教え、ナンマンダブツに生きる者は、答えはもうとっくにあるのです。

「真実なるものに遇うためであった。」

ただ大事なのは、この真実なるものが私のものになるかどうなのです。

み教えを聞くというのは、生活の中、人生の中でうなずけるかどうかではないかと思うのです。そうなったとに初めて自分のものになるのです。

どんなにお金があっても、地位や名誉があっても、人は必ず歳を取って、病気になって、死んでいきます。これは例外はありません。

人は皆、不幸になって生きているということになります。そんな人生が嬉しいですか?「人生は虚しい」などという人がありませが、人生が虚しいのではなく、その人の人生観が虚しいだけであります。


歳を重ねる中で、病やさまざまな出来事を縁として、人生の真実に遇わせていただく。死んでいくことも含めて人生に無駄など有りはしないのです。無駄だと受け止める私がいるだけで有ります。

全てのことを尊く思えるには人間の知恵に頼っていてはそうなりません。

人間とは常に自分よがりに生きようとする生き物ですから、不足ばかりです。

人が悪い、人のせいにして自分を守ろうとするのです。

そんな人生が幸せであるかのように夢物語を構築して生きて幸せになんかなりません。必ず打ち砕かれていきます。

【仏願】に出遇っていくことが大事なのです。

仏さまの智慧に出遇ってこそ、虚しくない喜びの人生がひらけてくると私は思っています。


生きる喜びは、真実なる仏願に出遇ってこそであります。

南無阿弥陀仏

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