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執筆者の写真超法寺の住職

すぐできる「布施」

皆さま、こんにちは。

雨が降り寒くなりましたね。

気温差で体調を崩さないようにお気をつけください。

今日は、さいたま市岩槻区まで葬儀へ参りました。

おかげさまで無事に帰ってきました。


さて、今日気づいたことをご紹介します。

何気なくしてしまうこと。

少し苛立ち、相手にキツくあたってしまった。

これを、言葉や顔の表情には出さずに、優しい言葉や笑顔で示せたらどれだけ素晴らしいことか。


人間は、「目は口ほどに物を言う」

目つきは、顔の中でも一番感情が出やすい。

つまり、相手に自分の心を伝える上で、とても重要な役割のある器官ですよね。


そんな「目」のはたらきに、相手を思いやる気持ちを表すことで、尊い【布施】になります。

仏教では、【眼施】または【慈眼施】という相手にあたたかい眼差しを向ける施しです。


これなら普段から簡単に【布施】ができる•••はずなのに、私はとあることでそれを怠ってしまったのです。


後悔後にたたず、あ〜大失態です。

娘さん、ごめんなさい。

でも、謝っても遅い、言ってしまったから。

コンビニで会計の時に、「このままで」と言ったのに、レジの店員さんが「コンビニ袋要りますか?」と言われて、つい、「要らないって言ったよ。」などといらんことを言ってしまった。どうして、もっと優しく言葉を使えなかったのだろうか。情けないよ。


生前、父が「屁一つだぞ」って言っていたのはこういうこと。お恥ずかしいです。

きっと、乱暴なお坊さんだなぁって思われてしまったことでしょうね。


【布施】とは、簡単にできそうなのに、意外とできないから不思議なものです。


だから【布施】は、してやった、などという気持ちではならないのですね。

【喜捨】という言葉があるように、【喜んで捨てる】そんな世界なんだそうです。


気持ちよくさせていただける範囲でお寺さんへの御礼を【布施】という形でおさめたいものですね。


こういうことは、雨で流してしまいたいところではありますが、そうは問屋が卸さないのですね。ずっと後悔しています。


もっと柔らかく生きねばならないですよね。

お恥ずかしい私の振る舞いを聞いていただきました。お恥ずかしいです。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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