皆さま、こんにちは。
連休明けの今日は朝から雨模様でしたが雨も上がりました。でも、めちゃくちゃ寒くなり冬服を出しました。体調管理が難しいです。
皆さまもどうぞお身体には十分ご自愛くださいませ。南無阿弥陀仏
さて、またまた探し物で大騒ぎしております。
探してもない、おかしいなぁ、やっぱりない。
そんなことをしていたら、母からの手紙が出てきました。手に取ると何でしょうか、封がしたままじゃないですか。
お母さんからの手紙を開けずに読んでもいないなんて珍しいけど情けない息子です。
便箋一枚に母が綴っている言葉は私から水分を奪ってしまいました。
そう、またまた号泣なんでした。
念仏者のお手紙ってこんなものなのです。
皆さまにご紹介しますね。
「春たけなわというのでしょうか。暖かくなっていますね。一時、あたり一面、夢かと思う程で悪いものを洗い流された思いがしましたね。
今年の桜は格べつでありがたく感じました。
雅裕さんには、お便りをいただいて、これにも又悪いものをストンと軽くしていただいた気がしました。
今思うと、あれもこれも今あるそのまんま、お念仏あればこそでした。限りある生命あれどこれもお念仏いただいたればこそでした。
明るさ晴れやかにいただいていきましょう。
あなたの明るさにはどんなに救われたでしょう。身体は粗末にしないでいたわって下さい。」〈令和3年4月13日〉
※お母さんの私への優しさが満ち溢れたお手紙でした。令和3年は超法寺にとって厳しい法務事情がありました。コロナ禍の影響でお参りの少ない、収入も無い、蓄えも底をつき、業者からの依頼も激減していた四面楚歌でありました。お恥ずかしいことですが辛くて親に無心しようかとどれだけ思い悩んだか。(結局しなかった)
この手紙は、きっと私がずっと両親に私の誕生日を迎えた感謝を手紙にして送っていたものを母が返事として送ってくれたのでしょう。
それなのに読む気にもならずに開封もせずにしまっていたのでしょうね。
義弟や妹に対する遠慮がありますから。
母には寂しい思いや辛い思いをたたくさんさせてしまったことでしょうね。
それでも、南無阿弥陀仏があればこそ分かり合える世界があるのですね。
今は亡きお母さんが私に生涯かけて「お念仏大事」を教えてくださいました。
これは感謝ですね。
これほどお念仏を大切にしたい母親に育てていただけた私はきっと誰よりもしあわせ者だと思います。
今はまだまだ私の人生最終章は道半ばですが、少しずつ、南無阿弥陀仏を喜ぶ方々が超法寺に集い、未熟な私を励まし、育ててくださいます。
お母さん、昔の西本願寺千葉出張所が懐かしいよね。あの頃が一番大変だったけど一番皆んな笑顔があったと思うよ。
楽しかったよ。皆さまの優しい言葉、優しい笑顔がいつもありました。
鈴木さん、景山さん、杉本さん、中川さん、高橋さん、小林さん、東さん、小川さん、金子さん•••••もっともっとお世話になった方々がいました。最近は物忘れが酷くなってきたので名前忘れちゃったなぁ。
そしてお母さんはいつも集合写真だと探さなきゃならないくらいはじの方で笑っていましたよね。まさに奥様の典型でしたよね。
お母さん、そんなあの時のお寺を死ぬまでにやりたいんだよ。
お母さんの側にずっと居たかったけど。
お母さんが大好きでした。
お母さんが居てくれたから僕は頑張ってこれたんだから。
でも、もうあなたはこの世の人ではなくなってしまいましたね。
「お母さん」、「伸子」は私の善知識です。
あなたが居ない人生を何年生きねばならないのだろうか。またお母さんに「お兄ちゃん」って呼ばれたいなぁ。
コロナ禍じゃなかったらお母さんには一度、超法寺に来てほしかったよ。
夢は、「浄土真宗本願寺派 超法寺」になった時にお母さんをお迎えしたかったよ。
「西本願寺千葉出張所」は、前門主さまが応援してくれてできた宗門始まって以来の都市開教拠点でありました。
これは私の喜びであり誇りでした。
「大願寺」の開基よりも素晴らしく誇りあるものは「西本願寺千葉出張所」だと思いますよ。
これはきっと長男の私にか語っていけないものだと思います。有難いよね。
私は「大願寺」を出たけど、大願寺が嫌いではなかったのはお母さんはわかってくれているよね。お父さんと一緒には居られなかったんだよ。お母さんもずっとお父さんには言ってくれたけど、どうにもならなかったからね。
この道しかなかったんだよ。
本当はね、亜由美がいた時にそうしたかったんだけどね。彼女には悪いことしたよね。
でもお母さんは最後まで彼女を大切にしてくれましたね。
亡くなる前にも、「お姉さんはお母さん大好きだったのよ」って言ってたからね。
「お母さんが病気じゃなかったらもっとお姉さん(元嫁)の側にいてあげられたのに」と、度々悔やんでいたよね。
それでもやっぱり、今はこの入間市でお寺をする使命があったのですよね。
まさかまさかの亜由美さんの実家がある埼玉県で都市開教をすることになるなんてね。
彼女の方が先に社長になっているよ。
やっぱり彼女はスーパーウーマンですわ。
あははは。
お母さん、どうぞ亜由美さんにも南無阿弥陀仏届けてあげてよね。(ま、もうやってると思うけどね)
しかしながら、今日はお母さんからの手紙でいっぱいいっぱい泣いちゃったけど、お母さんありがとうございます。
どんなに御礼を言っても御礼しきれません。
それはきっと、親鸞聖人さまへの報恩と同じなんだろうね。
南無阿弥陀仏を私に受け取らせてくれた善知識、末田伸子さん、お母さんありがとうございました。
あなたのお心を私の残りの人生で一人でも多くの方々にお伝えしていくね。
これからも困難ばかりでしょうが、超法寺丸は一歩一歩進んでいきます。
南無阿弥陀仏を【灯】として。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
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