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人間が歩むべき道とは

執筆者の写真: 超法寺の住職超法寺の住職

表白

「敬って西方の浄土 阿弥陀如来の御前に白(もう)して言(もう)さく、本日ここに有縁参集の人びとと共に恭々しく尊前を荘厳し、懇ろに(ねんごろに)聖教を読誦して、法名【大願院釋(尼)敬静】俗名【末田伸子】殿の初七日法要を厳修(ごんしゅ)いたします。


つらつら惟る(おもんみる)に我ら幸いに深き因縁によって人の世に生を受け、春は花と戯れて(たわむれて)入陽(いりひ)を送り秋は月を賞でて(めでて)暁を迎う者も、生者必滅(しょうじゃひつめつ)の道理(ことわり)のままに何時(いつ)の日か死の床に臨む。


出(い)ずる息 入る(はいる)息 ひとたび絶えなば、呼べど 応えず、謦咳(けいがい)再び聞くこと無し。

花の顔容(かんばせ) 忽ち(たちまち)に失せ 健やか(すこやか)なりし五体も遂に空しくなりぬ。


実(まこと)に諸行は無常にして老少は不定(ふじょう)なり。我や先 ひとや先 今日とも知らず 明日とも知らず。

遅れ先立つ人は もとの滴(しずく) 末の(すえの)露よりも繁しと言えり。


然れども仰ぐべし 謝すべし。

今生の縁(えにし) 尽きし者

その姿は 永く寂滅の煙と消えゆと雖も(いえども)、阿弥陀如来の大いなる救いのみ手に抱かれて蓮華(はちす)の国に生まれ、香しき(かぐわしき)蓮華の花の如くとこしなえに浄らけき身とはなるなり。


まことにこの世の念仏の花 一輪散るとも一声の念仏によって 浄土の花 一輪開くという。


希くは(ねがわくは)今や浄土に生まれし人、還相(げんそう)の回向(えこう)を垂れて(たれて)後に残れる人の心に影向(ようごう)したまい、後に残れる人びと また相い携えて 亡き人の面影を偲びつつ、朝な夕なに称名念仏怠ること無く我れ人もろともに まことの幸せの道を歩まんことを。


伏して請う(こう)

如来、大悲を垂れて愛愍納受(あいみんのうじゅ)し給え。」




もう一週間経ってしまったよ、お母さん。

無常世界は無常迅速って本当なんですね。

まだまだ寂しいよ、お母さん。

でもそんなときは南無阿弥陀仏だよね、お母さんはそう教えてくれました。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、ナンマンダブツ、ナンマンダブツ。


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