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執筆者の写真超法寺の住職

言葉の使い方って大事だよね

更新日:2022年9月8日

夜分に失礼します。

また一日が終わる。今日も新たな出会いがありました。

この街に来てどれほどの人と出会ってきたことでしょうか。良い人、嫌な人、それは色々です。


私も五十半ばでもう決して若くはございません。

車を運転しているとまた人間ドラマがございます。

最近ではドライブレコーダー装着していることもあり若干ですが気持ちに余裕がある気がする。

でも、それでも一定数、割り込み運転や煽り運転をするドライバーはいるのだから人間って悲しいですね。


さて先日、新座市に住む伯父が面白いことを話していました。「いや〜、この間若い子から割り込みされて文句を言われたんだけど、嬉しくて思わず有難う!っと言ったんだよ。」


皆さんはどう思いましたか?

だって普通割り込みされて文句を言われたら、「この野郎」とか「クソじじい」とか言わないですか?

伯父はもう九十過ぎで十分ジジイですよね。

ではなぜ伯父は文句を言われて「有難う」と言ったのか。


それは「このクソ親父!」って言ったんだって。


言われて腹が立つより驚いて笑ったって。


人間って面白いですよね。

言葉一つで喧嘩になったりならなかったりする。


だから言葉は正しく使わなきゃいけないですよね。

伯父は、「九十過ぎの俺にジジイじゃなくて親父って言ったんだ。まだ親父の歳に見えたのかな笑」


喜んでいました。

呆気に取られたよ。


さて最近では、仏閣を観たり仏像を観ることが好きな人をよく見かけます。

それについて亀井勝一郎さんは、「仏さまいわく、仏像鑑賞と称して多くの人が来るが、実は俺の方でその人たちをさんざん鑑賞しているのだということを忘れさんな。観仏とは、仏に見られることであって見ることではないということ」と言われています。


人間とは悲しいかなそもそも自己中心の煩悩具足の生き方をします。これは皆でありますな。

すべて私の様々な事情、都合でどうにでもなるし、どうもします。


また幼稚園児が車に残されて亡くなりました。

やはり皆、自分の都合であります。

そして自分だけは大丈夫だなんて思っているから繰り返す。会見しても何かマスクの向こうは笑っているように私には見えた。

まさに正しいものなどわからないし、見ようともしていません。


しかしながら仏さまは、縁起をさとり、無我の世界に生きるがゆえに、すべてのものを、そのものになって、あるがまま(如)に見ておられます。


「もろもろの衆生において、みそなわすこと自己の如し」


仏さまは、あなたになってあなたを見ておられるのです。


外から向こうから見ておられるのではないのです。

あなたになって、あなたを見ておられるのです。

仏さまの前では、心も身体も素っ裸にされているのです。恥ずかしく思われませんか?


一度ゆっくり考えてみませんか?

その場こそが仏法聴聞であります。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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