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執筆者の写真超法寺の住職

「このまま」ではダメです

更新日:2023年4月4日

浄土真宗では、「そのままの救い」とよく言われますよね。

凡夫(死ぬまで煩悩から離れられないもの)が凡夫のまま、阿弥陀如来のはたらきにてお浄土に生まれ仏になる、まことに稀有(けう)なみ教えであります。


これは私の方に手垢を一切つける必要がないという、阿弥陀の一人ばたらきであります。


しかしながら私たち人間は欲の生き方をしますから、「そうはいっても、やはり何かしなければならない」と、計らう心が働いてしまいます。

他力本願、他力本願と聞いても、いつのまにか自力になってしまうのが人間の愚かさであり悲しさなのであります。


私自身も高校生の頃にそこへ陥りました。その結果、両親が望んでいた大学ではなく自力聖道門の学校に入ってしまいました。

今考えると何とも愚かでありましたね。

幾度となく後悔はしてみたものの後の祭りでした。

これはまさしく「計らい」が仕上げてある【安心】を遠ざける、阿弥陀如来の大慈悲心を拒む心なのであります。


さて、ここで三河の妙好人「おその」さんの話をご紹介します。


本山から派遣された僧が、説教を行った時の話です。

「仏願の正起本末(しょうきほんまつ)を聞きて疑心あることなし」


『教行信証』に述べられていますよね。

これが真実の信です。

疑いを晴らすことが第一。

疑いが晴れなければ本物の信ではありません。

僧は疑いを晴らすことを繰り返し繰り返し厳しく申されました。

お聴聞の人々は、その厳しさに萎縮しお堂は静まり返ったのでした。

じっと説教を聞いていた「おその」さんは、ふいに踊り出すように両手を上げて、大きく振りながら大声ではやしたてたのでした。


【雲らばくもれ 晴れたとて 花の浄土は見えやせまい みんな、そこらじゃ そこらじゃ】


「ただ今から、阿弥陀さまのお申しわたしを一言お伝えする。各々、心して聴聞せらかよ」

こう一言いって退堂されました。

「ありがたいことじゃ。百のものを十につづめ、十のものを一つにして、ようこそ親をさまのおおせ知らせてくだされた。

こんなうまいことは、ご講師さまでなければ聞かれぬことじゃ。」と、大声で言うと、おそのさんはお念仏を称えながら、さっさと帰っていかれたのでした。


※信心に恵まれない

安心したいと悩む方にアドバイスを。

必ず安心感が得られる方法があるが、

あなたは二、三年やってみる気がありますか?

[安心さえできるなら、どんなことでもやるつもりです]と。

◉【では、二、三年の間、お差し支えなし!ご注文なし!と、言いづめにしてみなさい」


これがなかなか簡単にはできません。

どうしても人間は自分で何かしなくては安心できないのだから。

【聞いたまま】でいいのに、わざわざ最近では通信教育なんてものにうつつを抜かして満足している輩が後から後から現れてしまう。

どうしても安心を私の方から掴みに行ってしまうのが人間の悲しさであります。


阿弥陀如来は、【もう全部仕上げたぞ!】と、南無阿弥陀仏と既に不安な私に聞き届いていると言うのにね。

法然聖人はおっしゃっておられるよ。

南無阿弥陀仏を我が耳に【お前のことはもう助けてあるから安心しなさい】そう聞きなさいよ、と。


どこかに疑う私があるから、どうしても勉強しなくちゃいけないと勘違いしてしまうのです。


〈浄土真宗の生活信条〉に、【み仏の誓いを信じ、尊いみ名を称えつつ、強く明るく生き抜きます】とあるじゃないですか。

皆さまは実践されていますか?


疑ってるんじゃない?

称えられていないんじゃないの?

強く明るく生きれていますか?

愚痴や悪口ばかりで生きていませんか?


これができないのなら、どんなに勉強をしても結局、おそのさんのような境地になることはできないでしょうし、おそのさんの言動にすら疑念を持つのではないでしょうか。


おそのさんは聴聞者であって、僧侶ではありませんよ。資格なんか無くったって何にも心配はないのですよ。

それも含めて?全部、阿弥陀さまは仕上げてくださったのですから。


だから、そのまま、そのまま、なんですよ。

まだわかりませんか?

あなたは、あなた、そのままです。

❌「このまま」ではいけません。


わからない人は、もっと素直に仏法聴聞してくださいませ。そのうちわかるはずだから。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏



追伸

写メは住職のお気に入りの「豚丼」木ノ下[狭山市 西武新宿線新狭山駅前]です。

マスターの人柄も最高ですよ。日曜祝日除く1130〜1800です。カウンター席のみ

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