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あなたの優しさに感謝

皆さま、こんにちは。

今日はスッキリ晴れましたね。

有難いです。

事務仕事(郵便局、銀行)に走り回ってやっと落ち着きました。

さて、いつまで一人でやれますかね。

でも頑張らねば、夢のためにも。


さて大願寺で長いことお世話になっていたお母さん(おばあちゃん)が亡くなられたと、お孫さんのSNSで知りました。

私が高校生時分からお参りしていた、確か八重山諸島のご出身だと思いますが、優しい笑顔と言葉でいつも励まし応援してくださいました。

亡きおじいさんも素敵な方でお酒の飲めない(車だから)私に飲まそうとしてくれました。心残りは一度でいいからお酒を酌み交わしたかったですね。

そのうちそのうちはいけません。

きっと後悔するから。


でも素晴らしい仏縁を結ばせていただいていたのに、お孫さんは「天国に行かれました」などと投稿されていたのですね。

愕然としました。

いかに自分が無力であるかを痛感させられました。彼は中学の後輩でもあり心安かったので、チャットで「天国行きはないよ、お浄土たよ。ずっとお伝えしてきたじゃないか」と。

しかし返ってきた彼の言葉にまた愕然です。

「こちらにも都合があるんです」だって。


都合ってなんなのよ。

SNSでの発言は社会的立場がある人のものは一般よりも破壊力があると私は考えている。

浄土真宗のみ教えで「天国行き」はあり得ません。いやはやそもそも仏教ではない。

おばあちゃんの遺影の上には、しっかり三つ折りの阿弥陀如来の絵像が安置されていましたよ。

それなのに阿弥陀さんは神さまじゃないよ。

阿弥陀さまの大慈悲に抱かれてこそ、おばあちゃんは安心の世界へ参ってくださり、また遇える道を教えてくれたんですよ。

それを差し置いてあなたの都合って何?

改めて親鸞聖人がおっしゃった「報土往生多からず、化土(けど)往生少なからず」をよくお聞かせいただきたいですね。


皆さま、天国は神様の世界であり、仏さまの世界とは違いますよ。

神も仏も同じだなんて考えていたら真実なる世界は知られない人生となります。


「死ねば仏」

皆さま、これに引きづられ過ぎていませんか。

『歎異抄』に、

【弥陀の本願を信じ、念仏もうさば仏になる】

とあります。

残念ながら、私たち人間は死ぬまで煩悩(欲)から離れられないのです。

つまり、私の力(自力)では悟りに至ることはできないのです。

ということは、阿弥陀如来を疑っている人は浄土どころか天国にすら行けないのです。


じゃあどこへ?

地獄(自業苦)へ真っ逆さま〜でありんす。


ポロポロと、真実を知らずに自分の殻に閉じこもって、意味のわからない自分の都合に埋没して先人(ご先祖)の願いに背いて、自我に悩み苦しみながらどこへ行くかもわからずいのち終わっていくのです。


その姿を見られた宝蔵菩薩さまは、何とか仏の側ですべての命を救うことはできないだろうかと、五劫という途方もない時間を思案して【ご本願】を誓われて永劫(五劫をはるかに超える時間)修行して成就されましたのが、阿弥陀如来であります。

つまり、仏の側では必ず私が救われる術は仕上がっているというのに、凡夫たる人間という輩は、真実のないものに振り回されて、急がねばならないものを急がずに、急がなくてもいいことにあくせくして生きているのです。


長い人間界では昔からきっと何にも変わっていない。これだけ文明が進化して、これだけネット社会となり情報が溢れているというにもかかわらず、まだ「天国」などと思い安心して生きているのだから阿弥陀さまはご苦労でございますね。


もう私が彼らにお寺として関わることはないだろうが、後継には是非とも彼らを自我の闇から導いてあげてほしいと願うばかりであります。

皆さまも、先のことだなんて油断していてはいけませんよ。


【無常迅速 生死事大】


あっという間ですよ。

「弥陀成仏のこのかたは 今に十劫をへたまへり 法身の光輪きはもなく 世の盲冥(もうみょう)をてらすなり」〈浄土和讃〉


意味は、

阿弥陀さまが一切の衆生(いのち)を救いたいという願いを発(おこ)して仏になられたのは、十劫という気の遠くなるような昔にさかのぼります。


以来、その願いは実際に力となり、無限のいのちをもって今日に至るまで止むことなくはたらき続けています。


しかも、そのはたらきは光がどのような暗闇の世界であろうともあまねく照らし尽くしていくように、煩悩の闇に惑わされて真実の智慧をもたない私たちを一人残らず真実に目覚めさせてくださいます。

    「浄土和讃を読む」白川晴顕著 


普段から身近にお勤めされている親鸞聖人のご和讃です。たまには言葉の意味を味わってみていただきたいですね。

仏さまをこちらに持ってくると地獄が近づきます。そうではなくて私を阿弥陀さまの側へ寄せていくのです。それが南無阿弥陀仏をお称えさせていただくということだと思います。


おばあちゃん、長い間お世話になりました。あなたに逢えてよかったです。亡き息子さんに感謝ですね。またお浄土で遇いましょうね。

どうか、可愛いお孫さんに南無阿弥陀仏を届けてあげてくださいね。


死ぬまで煩悩から離れられない私(人間)は、南無阿弥陀仏をいただかねば(お称えする)お浄土へはすぐには参れません。

せっかく人間に生まれて、浄土真宗に仏縁があったんだもの、せめてナンマンダブツと声にいただかせていただいて、「私は安心して、喜んでお浄土へ参らせていただきます」と、これくらいは後に遺していく子どもさんやお孫さんには語っていただきたいと願うばかりです。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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