かの土へは参るべきなり

更新日:10月13日

皆さま、こんにちは。

今日は朝からどんよりどよどよの寒い

お天気になりました。雨は降ってくるのでしょうか。


さて、先日の『歎異抄』の続きをご紹介いたします。


私たち人間は、【煩悩】に振り回されて【執着】(しゅうじゃく)の心から離れることができません。この煩悩により仏法に遇うことが難しく、その上で阿弥陀さまの願いに耳を傾けていくことが疎かになってしまうお互いであります。


『歎異抄』には、

なごりをしくおもへども、娑婆の縁尽きて、ちからなくしてをはるときに、かの土へはまゐるべきなり。

いそぎまゐりたきこころなきものを、ことにあはれみたまふなり。

これにつけてこそ、いよいよ大悲大願はたのもしく、往生は決定(けつじょう)と存じ候へ。

踊躍歓喜(ゆやくかんぎ)のこころもあり、いそぎ浄土へもまゐりたく候はんには、煩悩のなきやらんと、あやしく候ひなましと云々(うんぬん)。


《現代語訳》

このように執着して名残りを惜しんでいても、この世の縁が尽きて、生きる力がなくなり命終わるとき、お浄土へまいらせていただくのです。

いそいでまいりたい心のないものを、阿弥陀如来はとくにあわれんでくださるのです。


それを思うにうけても、いっそう如来の大悲大願がたのもしく、また往生もまちがいないと、知らせていただきましょう。

もし、おどりあがるほどのよろこびがおこったり、はやくお浄土へまいりたいと思われるようであれば、自分には煩悩がないのだろうか?とかえっておかしく思われることでしょう。との仰せでありました。



※阿弥陀如来は、私たち人間の生きる姿をすべてお見抜きしてくだされた上で、【ご本願】を立て仕上げてくださいました。

ですから、私の側では疑うことも、解説していくことも何も必要ではありません。

ただ願いのままに受け取るだけで有ります。

それが【南無阿弥陀仏】と聞き、【なんまんだぶつ】と、声に称えることであります。

これができるようになれば、私が阿弥陀さまにお任せすることができた!ということですから、後は不安になればお言われを聞いて(仏法聴聞)生きていけば私らしく生きていけるのです。


不足、不満、愚痴、腹立ち、妬み、文句•••••これらすべて【煩悩】であります。


【煩悩】に効く仏さまのお徳は【南無阿弥陀仏】だけであります。

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煩悩具足の私たち人間の自分勝手な願いは、神さまも仏さまも決して聞いてなどくださいません。

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是非、考え方をひっくり返してみてください。

そうすれば不思議な位にラク〜に生きていけます。

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神さまに願いをかける→神さまの願いを聞く


仏さまに願いをかける→仏さまの願いを聞く

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これらは、誰が?ですが、もちろん【私】ですよ。


是非とも実践して今を生きていきましょう。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏


◉「かの土」とは、【お浄土】です。


【お浄土】へは、しあわせな人しか生まれられません。

そして、私がしあわせになるためには阿弥陀如来と出遇い、南無阿弥陀仏を受け取るしか道はありません。私に南無阿弥陀仏を聞くご縁をくだされたご先祖や故人に感謝したいですね。

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