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執筆者の写真超法寺の住職

お釈迦さま有難う

皆さま今日は《成道会》であります。

(じょうどうえ)です。

仏教を開かれたお釈迦さまがおさとりを開かれた大切な日です。世間ではクリスマスに向け賑やかですが、仏教では迷いの私たちを悟りへ導くために仏さまになられた尊い仏教行事なのです。


[生死問題の解決を求めた]

人間の苦悩は老•病•死であります。

どんな人であっても必ず生きている限り避けては通れないのであります。


人はなぜ死んでいくのか、死んでいくのに、なぜ生まれてくるのか。この人生にはどんな意味があるのか。私たちはそのようなことを一切知らずに生まれてくるのです。


そして多数の人は、その意味を知らずに命を終えていくのではないでしょうか。


お釈迦さまは、王子としてこの世に生まれて、瞑想が好きな子どもだったそうです。

ある時、城から出て死んで悲しみに暮れる人たちを見られました。またある時は、病気で道端で倒れた人を見、またある時は老いた人の姿を見られたのです。どうして人はそんなことになるのだろうか、と考える日々が続いていたそうです。

そしてお釈迦さま(シッダルタ)は王子の位を捨てて出家されたのでした。29歳でした。

それから6年もの間、苦行(身体を痛めつけたり)をされました。大変難しいものでしたが、さとりを開くことはできませんでした。


それで苦行をやめ、瞑想に入られて49日目の早朝に悟りを開かれたのでした。

それが12月8日にあたります。


お釈迦さまは、生死問題を【因果と縁起の法】と発見されて解決なされました。

しかしながら私たちは、自分自身の生死問題にもかかわらず、一向に耳を貸さずに、好きだ嫌いだ、勝った負けた、損した儲かったと目先のことばかりに囚われ、愛と憎しみに明け暮れているのです。


【今日とも明日とも知らず】

と聞いても、「いやいや、今日も明日も明後日も、来週も来年もありまっせ。」などと、自らの無常にもかかわらずあくせくしているばかりです。

だから、いざ命を終えていかねばならない場面に出会うと、おののき、苦しみ、のたうちまわることしかできないのですね。


そんな生き方しかできない私たちのために、私たちの生死問題を既に解決され南無阿弥陀仏と喚び通しに喚んでいてくださる仏さまがいらっしゃいますよ、と教えてくださったのがお釈迦さまなのです。


お釈迦さまが成道されたおかげで、私たちは今、生死問題の答えである南無阿弥陀仏(お念仏)に出遇えたのです。


こんな素晴らしい世界を伝えてくだされたお釈迦さまを祝えないとは何とも情けないと思わずにはおれませんけどね。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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