お釈迦さまのお誕生日
- 超法寺の住職
- 4月8日
- 読了時間: 2分
皆さま、こんにちは。
良い天気に恵まれました。
まだ桜は咲き誇っていますね、有り難い。
そして今日4月8日は【花祭り】
仏教をお開きくだされたお釈迦さまのお誕生日であります。
【紀元前563年4月8日】
新暦では旧暦では4月8日、新暦なれば5月8日と言われます。
世界三大覚者のお一人でもあります。
ネパールではお釈迦さまのお誕生日には神輿を(神輿というかはわかりませんが)担ぎ、街中にお釈迦さまの目模様が溢れています。
我が日本は仏教国とも言われますが、【花祭り】を全国的にやっているようには感じません。悲しいことです。
私はこの季節にいつも朝日花壇に投稿された神戸の高寺美穂子さんの歌を思い出します。
「しあわせを願う相手がいることがしあわせなのだと 何度目の桜」
皆さまはどう感じられますでしょうか。
しあわせを願うのは人間の生活には欠かせないものでしょう。しかし、自分や家族だけでは物足りないですよね。
高寺さんの初めのしあわせと、後のしあわせでは中身が違います。
最初のしあわせは「幸せ」の意で、後のしあわせは「仕合わせ」という意味ではないでしょうか。本当の人間の道は、他人のしあわせを願う人間になることではないでしょうか。
【仏心とは大慈悲これなり】
「慈」とは、相手を自分の如く見る心。
故に凡夫の苦悩が、そのまま仏さまの苦しみ悲しみ悩みとなります。
「悲」とは、相手になって相手を見る心。
凡夫一人一人の身になってみれば、欲で罪をつくるのも、憎しみの心で悪を行うのも無理のないこと。こうしなさい、こうなりなさいとは言えない、ただそのまま抱いて悲しむよりない。
その大慈悲の心で、何とか苦悩の衆生を救ってやりたい、「しあわせ」にしてやりたいと、仏心、仏ごころのまことが、南無阿弥陀仏となって我らに与えられているのです。
そのことにすら気づけずに、自分が頑張っている、自分は間違いない、他人が悪いと仏さまに背を向けて生きている私たちにお気づかせをくださっているのが、お釈迦さまの人生ではなかったのでしょうか。
南無阿弥陀仏に救われる人は、自ら他人の「しあわせ」を願う人になるのでしょう。
産めよ、育てよ仏の子。
漏らさぬぞ、必ず本当のしあわせにする仏がおるぞ、のおはたらきが南無阿弥陀仏の声となり届いていてくださいます。
忘れないでくださいね。
南無阿弥陀仏
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