お経を読む意味

皆さま、おはようございます。

今朝もかなり冷え込んでいます。

ガタブル•••••。

今日は朝一で遠方までお参りをいただいて

いますので早めに出なくてはなりません。

今週は毎日仏縁をいただいています。

有り難いことですね。

ただオミクロン株の大流行が始まりましたのが心配の種ではあります。


さて、浄土真宗では亡くなられた方の供養や慰霊のためにお経を読むことはありません。

【すべてにおいてここは一貫しています】


またお経を読むことによって、ご利益があったり、良いことが起こったりするとも考えません。

【これも一貫しています】


阿弥陀如来の恩徳を讃え、感謝する思いから、お勤め〈仏前でお経を読むこと、勤行(ごんぎょう)〉をします。


親鸞聖人は、阿弥陀如来が常に私たちを救おうとはたらきつづけていることに対して、いくら感謝しても感謝しきれないと表現されています。


この私たちを救ってくださる阿弥陀如来の教えは、浄土三部経(『仏説無量寿経』『仏説観無量寿経』『仏説阿弥陀経』)に説かれています。


お経は「如是我聞(にょぜがもん)」〈このように私は聞いた〉という言葉から始まるように、この私が仏さまの教えを聞くために読むのです。


これは単に僧侶の読経を聴くということではありません。苦しみや悩み多い私のために仏になられ、今、現に私のために教えを説きつづけている阿弥陀如来のよび声を聞くということです。

したがって、お経を読むことは、阿弥陀如来の教えを聞くことであり、その教えを通して自分を見つめることに他なりません。


『仏事Q&A 浄土真宗本願寺派』前田壽雄著

国書刊行会より



いかがでしょうか。浄土真宗のみ教えは私たちの手垢を付けない、付けることではない、完全他力(本願)のみ教えなのです。

他力とは、他人を頼りにするのではなく、阿弥陀如来のみがお持ちになる大慈悲にすべておまかせすることなのです。


私の口からはいつも他人の悪口や愚痴ばかりが軽やかに出てきます。その口から阿弥陀如来のはたらきが出てきてくださることは、本来あり得ないことなのですね。

つまり、私たちの口が南無阿弥陀仏、なんまんだぶつと出てきてくださるのは、阿弥陀如来の本願〈私を苦しみや悩みからしあわせの世界に救いたいという願い〉を受け止めて、受け取った証であります。


これはかなり凄いことです。


一度試してみてください。皆さまの口から南無阿弥陀仏、ナンマンダブツが声となって出てくださいますか?

出る方はもう知らないうちに阿弥陀如来が私の中に宿っていてくださるのです。

もう安心して今を生きていきましょう。


逆に実に多いのは、〈お腹の中で称えている〉人です。手はあわされても口には南無阿弥陀仏、ナンマンダブツが称えられない人は、まだ一番当てにならない私を頼りにして生きているのです。私は私にしがみつくものの、最後は自分を見捨てていく生き方しかできません。

阿弥陀如来を疑っている方には南無阿弥陀仏、ナンマンダブツは称えられません。


浄土真宗のおみのりは、

我(ガ)を捨てて、(ゲ)に生きる。


亡き恩師、松林宗恵師は「ガ行の法則」と教えてくださいました。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

今日も一日、阿弥陀如来のよび声を頼りとし二人三脚で歩んでいきましょう。

確かな私の歩みとなるはずです。

私も南無阿弥陀仏を称えながら生きていきます。

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