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お経の意味って何だろう

執筆者の写真: 超法寺の住職超法寺の住職

皆さま、こんにちは。

勤労感謝の日ですがいかがお過ごしでしょうか。


さて、お参りへ行きますと「お経」を読ませていただきます。

滅多にご一緒にお読みくださる方はいられません。

読める方は是非ご一緒にお経を読んでいただきたいですね。

読むことによって「漢文だけど意味は何だろうか」という疑問に

触れることもあります。

最近では現代語訳が書いてあるお経本もあります。

意味もわからずただ聞いているのではつまんないですよね。

呪文のように思えたりもするでしょう。


「経」とは、仏教を開かれたお釈迦さまの説法がもとになったもの。

それを「今現在説法」とも言います。

つまり今、お釈迦さまが私に説法をしてくださっているという意味です。

では、説法では何をおっしゃっているのか。


【お経は、お前を必ず助けるぞ!】

ということが説かれているのです。

頼まない私を仏さまは救ってくださるというのです。

それは一体どういうことなのか?それが書いてあるのです。

亡くなった方への供養ではなくて、今、ここに苦悩を抱えて生きているのに、

それにすら気づかずに生きている私に説法をしてくださっているのです。


あの手この手を使って、私が根負けするまで、「気づいてくれよ、目覚めてくれよ、任せろよ、助けるぞ!」と喚び続けておられるのです。

日本に妙好人という浄土真宗のご法義を喜ばれた方がいらっしゃいます。

その方は文字が読めなかったのに、仲間が「お経を読んでくれ」とお願いしたら、

「わかった、」と、お経本を手に取り開いて大きな声で、「お前を助ける、お前を助ける、お前を助ける」と読んだそうです。

すばらしいですよね。文字が読めなかったのにちゃんとご法義を聴聞して、そのまま素直に受け取ると、このような味わいをすることができるのですね。


もちろんナンマンダブツも、「必ず助けるぞ!まかせよ」という阿弥陀さまのお心を知ることができるのです。

助からん私を阿弥陀さまの大慈悲のはたらきによって救われていくから、有難うございます、というお礼の言葉が私の口から出てくるのです。

嬉しいんだから、ありがたいと思うから、ナンマンダブツと声にしてお念仏をお称えするのです。声にならないのは嬉しいとも、有難いとも思っていないからではないでしょうか。人間は喜びの度合いによって大きな声となっていくものですからね。


お礼や感謝は人に言われてするのはホンマもんじゃないよ。

それはただ言わされているだけですから。

素直になりましょうよ。

子どもは素直ですぞ。

姪がまだ幼い時に「おい、伯父さんにお父さんって言ってみろ、そうしたら10,000円お小遣いやるぞ」て言ったことがありました。

すると姪は「無理。だって伯父さんはお父さんじゃないもん」って言われました。

子どもはよくわかっているね。

大人ならどうでしょうか。嘘でもお父さんって言えば10,000円ももらえるなら言ってみようかってなるかもしれませんよね。どうですか?


聞いたままを素直に受け止めていくことが仏さまの願いであります。

その願いも、素直に受け止めていくことができない私のために、仏さまは、私の親となって現れてくださったのではないかな、と私は受け止めています。

頑固で、自分勝手で、素直ではない私だからこそ、私にちょうど良いはたらきをされてくださったのではないかと思っています。


お経を読む時には是非、このように思って読んでみたいものです。

ナンマンダブツ。

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