子どもの頃、「フランダースの犬」のイメージがあまりに強いのか、どうしても愛犬が亡くなられたら、皆さま「お空へ旅立ち虹の橋を渡りました」とSNSに投稿されておられます。
しかしながら、そもそも私たち人間もお空へ旅立ちはしません。
仏教の教えを聞く人になりましょう。
「アンパンマンのマーチ」にもあるじゃないですか。「何のために生まれて、何をして生きるのか、答えられないなんて、そんなのはいやだ!」この歌詞は、[やなせたかし]さんが書いています。彼はクリスチャンでした。
歌詞の内容は、先の戦争で亡くなられた弟さんの最後の姿(写真)が満面の笑顔だったそうです。「なぜ弟は人生最後に笑顔だったのか、なぜ死んでいかねばいけなかったのか、死んでどうなるのか」をずっと自問自答してきたそうです。
私たちは死に行くものを美化したい思いがあるのは私も理解はしますが、だからといってそれは真実の姿ではないのです。ましてや、私たちも必ず命終わっていかねばならないのでしょう。
その中で愛犬が私に何を見せてくれたのか、何を教えてくれていたんだろうかをきちんと訪ねていきたいものです。それを怠るからこそ「ペットロス症候群」に陥ってしまうのではないでしょうか。
あらゆる衆生(いのち)を、南無阿弥陀仏ひとつで必ず往生させたい。二度と苦悩しない真実のやすらぎの世界。そして二度と輪廻転生(地獄•餓鬼•畜生•修羅•人間•天上)の迷いの身にはしないと誓われてある阿弥陀如来の救いの姿がナンマンダブツであります。
私が何のために人間に生まれたのか。
私が何のために生きているのか。
私は死んだらどうなるべき命なのか。
この三つの問いに答えられるために私が生きているのです。これを怠って生きる私が真実な救いなどわかるはずもありません。ただ願望だけで美化していっても何も根本的解決はしません。
また、それを身にかけて教えてくれたのが愛犬ではなかったのでしょうか。
少なくとも私はそういう経験をして三つの問いに答えられる私にならせていただきました。
目の前で車に轢かれて、あっという間にこの世を去ってしまった虎徹くん。2年も生きることができなかった。悔やんでも悔やみきれない。私の愚かさを思い知らされました。
泣いて、泣いて、泣いて•••泣きはらして、仏さまのみ教えに人生初めて真正面に向き合って生きることで【諸行無常】の厳しさを痛感しました。
聞いて、聞いて、聞きまくりました。
南無阿弥陀仏がどうして私に届いてくださったのかをその時に心底知らされました。
あらゆる衆生(いのち)とは、人間だけではありません。いのちを宿すすべてのいのちを救ってやりたいと大悲(泣いてくださる)の仏さまが泣くまま、悲しみのどん底に陥っているまま、抱きとってくださいます。
そんな素晴らしいお救いを虎徹は幼いいのちをかけて私に教えに来てくれたのではないかと私は思っています。まさに諸仏の還相のはたらきがあったのでしょう。
彼のおかげで仏法聴聞と向き合うことの大切さを教えていただきました。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏の声を届け、受け取らせていただきました。
有難う。また遇えるからね。
【倶会一処】(くえいっしょ)の世界を教えてくれたのですね。
何をどう受け止めたらいいのか。
【聞其名号】(もんごみょうごう)
↓
名号とは、南無阿弥陀仏のことです。
南無阿弥陀仏を聞きながら生きていくのです。
亡きものを仏さまと拝んで生きていくのです。
それが真理でありますから。
お気を悪くされた方がいましたら陳謝します。
ただ、まやかしは捨てた方がしあわせになります。それだけをお伝えしたいと思いました。
南無阿弥陀仏
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