お盆の本当の意味

更新日:7月26日

お盆とは、正式には盂蘭盆と言います。

サンスクリット語で【倒縣】(とうけん)の苦しみという意味です。


木の上から逆さまに吊り下げられた状態の苦しみということです。

地獄の苦しみを表したものです。

仏弟子の目連尊者が餓鬼道に堕ちた亡き母を救おうとして、(なぜ堕ちたかは、我が子だけが可愛いという罪)その母に食物を与えるのですが(餓鬼道では全て火に変わってしまうため食べることができないし、喉は針のように細いためやはり食べることができないと説かれます)


お釈迦さまに救いを乞う中、衆僧(しゅそう)に供養して初めて救われた(その日が七月十五日)という故事から起こったのがお盆という行事です。


亡き母や特定の先祖に供物を供えるということではなくて、自らが深く仏法に帰依して、限りなき仏さまのはたらきを仰いでいくということなのです。


◉ご先祖のご恩に報いる道は、私自身がお念仏を喜び、お念仏を称えながら生きていくこと。

⤵️

浄土真宗のお盆は、

ご先祖への報恩の思いから仏法を聞かせていただき、阿弥陀さまのお力によって救われていく身の幸せを喜んでいく法縁です。


ご先祖を間違いなくお救いくださる阿弥陀さまを心から仰ぎ、お供えやお参りをしたいものです。


※初盆を迎える方は、色付きの盆提灯を購入してください。白の盆提灯は初盆しか使いません。


※夏野菜には足をつけたりせずにザルにのせて供物としてお供えしてください。


※お墓に提灯を持ってお迎えに行く必要はありません。「千の風」ではありませんが、お墓の中にいるのではありません。南無阿弥陀仏の仏さまになっておられます。

是非、私の口に南無阿弥陀仏とお称えさせていただきましょう。


お墓にいるのではなく、亡き人の生前を偲ぶべき場です。この世に生まれた方々どれほど亡くなられたかを知る場所ですね。

そして私もまた必ず命終えていかねばなりません。

だからこそ、我が身の命の往く道を明らかにしておかねばならないと思います。


死ねば仏はありません。

阿弥陀さまの願いを聞いておまかせする私になる他に私が仏になる道は(手段)無いのです。

南無阿弥陀仏(ナンマンダブツ)を愚痴のこの口に称えるように導いてくださった先人に対して感謝の思いを忘れずにお念仏申したいものですね。


人も動物も、いのちあるすべてのものを南無阿弥陀仏のはたらきでお救いくださる阿弥陀仏です。


あなたの愛したペットはお空にはまいりません。

あなたの愛したペットは虹の橋は渡りません。

あなたの愛したペットにまた遇える道は南無阿弥陀仏いただけば必ず再会することができる。


だからこそ、一日も早く仏法聴聞する私になって【無常】の命を知りたいと思うのです。


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浄土真宗のお飾りやお供物は基本的に同じです。 お仏壇は、「仏さまを安置する壇」を言います。 お仏壇の主人は、《阿弥陀如来》です。 私たちをお救いくだされる仏さまですから、手を合わせ南無阿弥陀仏と御礼をするのが浄土真宗の作法です。 〈死ねば仏〉とお聞きになる方もありましょうが、 人間は死んだだけでは仏さまになりません。 人間の力では地獄にしか行き場所はないのです。 その地獄にしか行き場所の私がいるか