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執筆者の写真超法寺の住職

阿弥陀さまを教えてくれた母へ

更新日:2022年4月3日

皆さま、おはようございます。

今朝は寒いですね。雨が降りそうなそんな天気。う〜ん、おかしいな。

超晴れ男の誕生日だというのに。

そう、今日は末田雅裕住職の五十五回目の生誕日なのです。


五十五年前の今日、私のために母は人生で一番苦しいまさに命をかけた一日であったのですね。以前母から私の母子手帳を見せていただいたことがありましたが、「38時間」とあったのです。

私が初産でしたから難産だったのでしょうか。

生意気に生きていた私は母の前で号泣しました。それほど自らの愚かさを思い知らされたわたしでした。


皆さまも、子どもさんが生意気盛りで手がつけられなかったら最後の策に【母子手帳】を見せて差し上げましょうよ。

これを見て、それでも生意気言うような我が子ならもうでだてはございませぬ。


赤い温かな血が通う子どもならば、必ず母の思いは届くはずです。

親のありがたさは言葉ではなかなか伝わらないが、子どもの心には必ず届くものだと私は考えます。


だってピョコンで産み落とされたんじゃないんだもの。ウチの娘でも陣痛があったけど、ニュルンって産まれたからね。柴犬さんは安産だとは聞いていたけど感動したものだからね。

でもそんな何時間もかかってはいない。

母の凄さを知るには十分だった。


以前、母に「お母さん、大変だったよね、ごめんね。」と言ったら、母は「何言ってるのよ、お母さん幸せだったのよ。」と、ニコニコ少女のように笑ったのが印象的でしたよ。

その姿を見てまた私は大号泣。


お母さん有難う!

好き勝手に、好き放題にワガママに生きてその大事な身体を粗末にしてきて。

でもお母さんが丈夫に産み育ててくれたから雅裕は55歳を迎えることができましたよ。


今はそれなりに歳を取り、目も老眼になり、耳も聞こえなくなり、膝も腰も内臓も悪く常備薬無しには生きれなくなりました。

でも、何よりも一番嬉しかったことは、あなたに「南無阿弥陀仏」を称えながら生きることの素晴らしいことと、欠かさず仏法をお聴聞することの有り難さを身をもって私に教えてくださいました。ご門徒さんやお寺に来られる方を粗末にせず、優しく温かく迎えていた姿を今、わたしは大切にして超法寺を育てているよ。


まだ人生再スタートのパートナーには恵まれていないけど、皆さまのおかげでやれています。

貴女がいる間に命をかけて、いるま布教所を包括寺院までしたい。

それができたら大恩ある大谷光真さまにご恩返しすることができますからね。

これだけは絶対成し遂げなくてはならない末田の長男としての使命です。


お父さん、あなたはいつも厳しく辛く当たってくれ、私の甘いものごとの捉え方を律してくださいましたね。ド正論主義者のお父さん。

でも愚かな私にはそれを実践することができなかったの。やろうとしてもいつも失敗して劣等感のかたまりが私でした。苦しくて辛くて•••貴方の期待に応えることができなかった。

でも、これでも本当に頑張ったんだよ。

125%の努力をしたと思う。

だから、どうしても最後の最後に貴方に反抗しました。精一杯の私のワガママだよ。

後どれほど私に時間が残っているかわからないけど、貴方の【西本願寺千葉出張所】の現代版、【いるま布教所超法寺】を実践していくよ。貴方がくれた《誇り》を私の宝物にしてこれからも頑張るよ。見ていてね。


我が誕生日を迎えてお父さん、お母さんへお礼の言葉を皆さまにご紹介させていただきました。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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