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お晨朝法話

皆さま、おはようございます。

今朝も良い天気に恵まれ、確かに寒くはありますが今日から十二月ですから致し方ありません。ただ不足を言わず、ただ「今」を精一杯過ごしていくことが私たちの役割ではないでしょうか。


久しぶりの築地本願寺お晨朝でした。

いつもながら有り難く感じる時間です。

専従員候補者時分に一年間研修で毎日のように

お晨朝(朝のお勤め)に出勤していました。

「あ〜、あそこにいつも座っていたなぁ」

そんなことを思いながら月日の流れを懐かしく思っていました。

今朝は「正信偈•草譜」、ご和讃は、「本師源空世にいでて」、御文章は「聖人一流章」でありました。

私がお取次させていただきましたのは、「あしあと」という話です。マーガレット•パワーズという方の詩を読んで、神の世界も仏の世界も真実なるものは、いかような形で、私が気づく前から、忘れてしまっていても抱き続けていてくださるという世界観であります。


ある人が人生の一生を振り返る夢を見ました。

砂浜に二組の足あとが並んでいました。

ところが途中から、一組の足あとしかありませんでした。



鈴木大拙先生は、「人間の行き詰まりこそ、神さまのお出ましになられる機会である」と、おっしゃっています。


人生が順調ですと、いかにも「神とともにありき」と、厚い信仰をもった信者と自負するのですが、ある時、仕事がうまくいかなくなり、生活が苦しくなって絶望のどん底に落ちてしまうと、もう教会のことも神さまのことも忘れていました。一組の足あとはちょうどその時期と重なっていました。


神さまは、「私の愛する子どもよ、私は決してお前のそばを離れたことはない。お前がもっとも苦しんでいた時、砂の上に、一組の足あとしかなかったのは、私がお前を抱いて歩いていたからなんだよ」と言われたのです。


神さまの愛をうまく表現していると思いました。何もかも満たされていると、神さまの愛に気づきにくいですよね。


同じく仏さまも、私たち人間の思い、考えを超越したところで、仏の慈悲に目覚め、気づかされるのですね。


阿弥陀さまも、いつも私たちとともにあります。煩悩の中に生きる私たちはそれに気づくことなく生きています。だから、辛いことがあったり苦しいことがあったりしますと、一人ぼっちになったと嘆いてしまいます。

しかしながら、阿弥陀さまも常に私たちとともにあって、大丈夫だよ、心配ないよ、と二人三脚で私の人生を歩んでくださいます。


そのようなお取次をさせていただきました。

今日は10時〜、30分二席、午後は13時〜40分一席、夜座が19時〜40分一席お取りさせていただきます。

YouTube配信されてますので、お聴聞いただけたらと思います。なるべく難しい話にならないように心がけていきたいと思います。


み仏の誓いを信じ、尊いみ名を称えつつ、強く明るく生きぬきましょう。

ナンマンダブツ


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