「助かってくれよとある仰せ」
大山了雲師のご法話をご紹介します。ご一緒にお味わいさせていただきましょう。
【み仏のみ手のまん中】
お釈迦さまの教えは、約7、300巻の経典に説かれています。
その数多い経典を通して、私たちに教えようとされたことは唯一つ、「迷いを転じて悟りを開く」ということ。迷いから悟への道を数多くお説きくださったのです。
ところが、今世間ではよく何代前の先祖のタタリ、墓のタタリなどとタタリを恐れて行うようないろいろの営みを仏教のように思ったり、また、そのほかいろいろ誤解されていることがあります。そんなことは仏教でも何でもありません。浄土真宗の宗祖親鸞さまのみ教えをよく聞けば、このことが実にはっきりするわけで、罰、日、方向のよしあしなど純粋に仏教徒は一切関係ないことなのです。
「私は今日一日あみださまのおはたらきの中に、日暮らしさせていただき、浄土という真実の国に向かって力強く安らかにお念仏と共に歩ませていただいています。
何にも気になることはありません。」と、これが浄土真宗にあわせてもらったもののいただく大きな徳といえましょう。
親鸞さまは数多い経典の中から浄土真宗の依りどころとされたのは浄土三部経で、その大無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経の三経をつづめると、南無阿弥陀仏の名号となります。この名号は阿弥陀さまのお心、限りないみ仏の親心のおはたらきです。これをよく聞かせていただき、常に私へのお呼び声である名号の心が、真に私の心に聞こえてくるまで聴聞しなさいとお釈迦さまは教えてくださっています。
親鸞さまは、二十年間比叡山で自力修行をして、学問やいろいろな難行苦行をされたが、さとりが得られず、求めて救われず、全く苦悩の末、法然聖人のもとに百日間も通い続けて、真剣に自分の救われる道ー「生死出ずべき道」を問われました。
そして遂に法然聖人より「一心専念して弥陀の名号を称えなさい。いつでもどこでも、縁のもようするままに、お念仏申しなさい。それが浄土往生させていただく間違いのない正しい行ー正定聚(しょうじょうじゅ)ですよ。」と心を込めてお導きを受けられました。
そこで親鸞さまは初めて名号の心が聞こえてきたのです。生死出ずべき道を目覚められました。このみちは、ほとりなき生死の苦海を弥陀弘誓(ぐぜい)の船に乗せられ、彼の岸、お浄土に渡らせていただくことであると深く気付かれたのでありました。
阿弥陀さまのおはたらきは、「死んだとき迎えてくださる」のではなく、「臨終待つことばし、来迎頼むことなし」ですから、いま、私のドロドロした生きざまのそに真っ只中にはたらいていてくださるのです。親鸞さまは、阿弥陀さまのこのはたらきの中に生かされている喜びを、極めて格調高いお言葉で述べられ「しかれば大悲の願船に乗じて、光明の広海に浮かびぬれば、至徳の風静かに、衆禍の波転ず」と喜んでおられます。
故東井義雄先生は数多い著書の中で、ありがたい言葉を数多く残しておられますが、その中で「どことても、み手のまん中」というのがあります。その一節に、「これからは、救いにあずかるのではないのです。既に〈救い〉のみ手の中にあった自分に目覚めさせていただくばかりです。〈助けてくだされよというにはあらず、助かってくれよとある仰せに従うばかりなり〉という法如上人のお言葉が憶われてなりません。」と述べておられています。
お恥ずかしいこの私もまた、「生も死も み仏のみ手のまん中」にあることを喜び、l「助かってくれよとある仰せ」に従い、ただお念仏するばかりであります。
いかがでしたか。
皆さまのお手元に超法寺から「ほのぼのカレンダー」をお届けしました。
門徒登録してくださった方、新たに超法寺がご縁を結ばせていただいた方々へであります。どうぞ毎日、お言葉を声に出して読んでみてください。きっと東井義雄さんのお心が沁みてくるのではないでしょうか。
どんな辛い時も、当てにならない占いや呪い、無責任な人の言葉に惑わされるのではなく、私だけを思い続けてくださっている真実の阿弥陀さまのお喚び声を聞かせていただいて、感謝お礼の南無阿弥陀仏を声にして生きていきましょう。
これが一番確かな人生の歩み方であります。
南無阿弥陀仏、ナンマンダブツ
今日はお天気に恵まれ良い天気になりましたが風が強くて危ないので道を歩く時も、車を運転する時も十分に気をつけてください。
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