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執筆者の写真超法寺の住職

お前ももちろん私もみんな

皆さま、おはようございます。

今朝は群馬県安中市で朝を迎えております。

おかげさまで快晴の朝を向かえることができました。先程、朝風呂をいただきスッキリいたしました。南無阿弥陀仏であります。


お風呂でのこと。人生の先輩が湯船で会話(反響するからチョイ○○さい)を聞いていました。「お〜、あいつ○んだって知ってたか?いやびっくりしたぞ。人は見かけによらんなぁ」という会話でした。

その話を聞きながらの私は、「皆○○んだぞ。あなたはどこへ行くんよ。」と、思ったのです。


皆さまはどこへ向かって生きておられますか?

天国?「う〜ん、なかなか行かれんですよ。ましてや天国は神の国だから、仏教徒が行くとこやないよ。」皆さま、天国と極楽は全く違う場所だし、行くには条件がありますよ。

○○まで煩悩「欲」から離れられないものが行ける世界でありません。

お墓に行ってご覧よ、よくわかりますから。

卒塔婆が立っていたり、墓石には「○○家先祖代々」、「○○家」が多いでしょうか。最近では「愛」「感謝」「永遠」「来てくれてありがとう」•••••。色々ありますが、どこにも仏さまのお名前が彫られてはいません。 本当に仏さまになったのでしょうか。 特に関東一円(首都圏)のお墓には顕著に見受けられますね。

浄土真宗なら【南無阿弥陀仏】【倶会一処】(くえいっしょ)が定番です。

南無阿弥陀仏を我が身にいただいた者は浄土に生まれ仏になります。阿弥陀如来の願い【ご本願】の他力のおはたらきによります。

おじいちゃんもおばあちゃんもお父さんもお母さんも皆、南無阿弥陀仏を称える人になることで阿弥陀如来のお慈悲に救われていくのですね。[いただかれない、称えることの無かった人はまだ•••かな]

倶会一処とは、お浄土でまた遇うという意味であります。教えに遇えたならば当然の世界ですよね。これは浄土真宗のみ教えが土徳として染みている九州や中国地方、近畿から北陸、信越の浄土真宗墓地では普通に見られます。 日頃から生活の中で仏法聴聞[お寺参り]を欠かさない人が大多数だからですね。 いくら我が家が浄土真宗でも、お寺には参らない、お聴聞[仏さまのみ教えを聴くこともしない、だからもちろんお念仏[南無阿弥陀仏]などもお称えすることすらしない人が人生の往き先などわかるはずがありません。

『アンパンマンのマーチ』に、「何のために生まれて、何のためにいきるのか、わからないなんてそんなのは嫌だ!」とあります。

皆さまは、子どもさんやお孫さんからこう聞かれたら教えてあげられるものをお持ちでしょうか?ネット社会ですから、いくら大人だからといっていい加減なことを教えたら子どもは○○しますよ、きっと。 そもそも大人であるあなたがわからないなんてナンセンスじゃないですか? だって私だって、あなただって、誰彼皆、いずれ間違いなく○○で行くのですよ。 他人事なんかじゃ済まされないのに、先程の会話じゃ無いけど他人事•••••。自分たちはまだまだ先? 『歎異抄』の一節に、 名残惜しく思えども、娑婆の縁尽きて力なくしておわるとき、かの土へは参るべきなり。

とあります。 我が父、人生最後の法話でありました。 【かの土】ってどこよ?あの世ってどこなのよ、それを「今」尋ねていくのが仏法聴聞です。「あなたはどこへ行ったの」を訪ねて行くのがお墓参りの一番大切な意味ではないかと私は思うのです。だからこそ墓石に何を彫るのかが問われていく必要を感じます。 我が先祖はそれを私に教えてくださいました。 有り難いことだと思うと同時に「誇り」を感じる私であります。

さてそろそろ朝食ですね。 皆さまも是非、南無阿弥陀仏を称えさせていただきながら良いお休みをお過ごしくださいませ。南無阿弥陀仏、なんまんだぶつ。

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