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おまかせしかないこの私

執筆者の写真: 超法寺の住職超法寺の住職

今日は大きな学びに遇わせていただいた一日でした。ずっとお聞かせいただいていました。

私の中には答えがありません。


【弥陀の本願を信じ、念仏もうさば仏となる】


やはり、これしかございません。

私の側がどんなに願っても、どんなに頑張っても地獄(自業苦)からは逃れられません。

まさに誓願不思議であります。


本願とは迷い(迷っていることにすら気づけない)の私を救う仏(おや)さまの願いであり、誓いであります。

日々煩悩に狂い(他人が悪い、他人が妬ましい、他人が嫌い、他人が、他人が)自己の殻に閉じこもり、まさに地獄にしか行くべきところのない私の性根(しょうね)の、助かる術のかけらすらないこの私を救わずにはおれないという大慈悲心(だいじひしん)が、泣く泣く仏さまは、この私と同じ痛みを味わわれ、助かる術を完成されました。


それが皆さまもお聞きしています南無阿弥陀仏であります。呪文ではありません。

また、浄土へ参る引換券でもありません。

参れん私のために願いをはたらきに変えて私へ届けていてくださるのです。

つまり、願いを聞いて、おまかせすることができれば、私の口から声となってあらわれてくださいます。

南無阿弥陀仏とお称えする私にするために阿弥陀さまになってくださいました。

はたらきづめの仏(おや)になってくだされたのです。

聞いても聞いても私の命の往くえすら知らない、知ることができない私に「大丈夫!心配するな!私(阿弥陀)にまかせよ」と喚び続けてくださっているのです。


私に「真」はございません。

「真」は阿弥陀如来さまにしかないのです。


その阿弥陀さまのはたらきが、罪あるまま救われる(仏になる)教えが浄土真宗なのです。

浄土真宗の人は、生老病死にあたり仏(阿弥陀如来)におまかせいたします。

死ぬのは私の抱える煩悩が死ぬのです。

私はお浄土へ生まれ仏にならせていただきます。

仏になった私は、迷い(人間世界)の人々に南無阿弥陀仏を届ける仕事をします。

【還相回向(げんそうえこう)】



岩の根も木の根もあれど さらさらと

たださらさらと 水の流るる


南無阿弥陀仏、ナンマンダブツ。

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