おにぎり1個に三千人
- 超法寺の住職
- 4月6日
- 読了時間: 3分
皆さま、こんにちは。雨の予報も快晴の朝を迎えました。
有難いですね。南無阿弥陀仏です。
今日は地元金子駅前公園では「さくら祭り」が開催されます。
一度行ってみたいのですが今日は千葉県野田市までお仕事をいただいております。
今朝は「どうすれば幸せになれるか」についてご紹介します。
これは昔祖母が教えてくれたことでもありますが、来週は仏教をお説きくださったお釈迦さまのお誕生日ですので、仏教の観点から【縁起の法】でおはなししましょうか。
仏法とは縁起の法。
それは自然の道理。
この世の道理です。
存在するすべてのものは、さまざまな状で因(原因)となり縁(結果)となって繋がっています。その繋がりの中で、すべてのものは生まれ、すべてのことが起こる。
繋がりがなければ何も生まれず、何も起こらない。
これを因縁正起(縁起)の法と言います。
今から四十億年前、地球のどこかの海で一つの生命が生まれました。
そうして四十億年経って今日のような人間や植物、動物、その他のさまざまな生命の世界ができたのです。植物も動物も生命はすべて繋がっています。
親がいて子どもの私がいる。
子どもがあって親の私がある。
妻(夫)がいて、夫(妻)の私がある。
さまざまな植物があり、さまざまな生き物がいて多種多様な職業で働く人がいて、さまざま学校で学ぶ人がある。私の衣食住の今日の生活が成り立っています。
一度の食事をいただいて、その背後にどれほどの人や物が繋がっているのでしょうか。
コンビニのおにぎり。独り者の私は仕事に出るとコンビニおにぎりにはお世話になっております。たった二百円くらいのおにぎりですが、一個のおにぎりを作るには実は約三千人の努力や苦労があってこそのものであると知って食べている人がどれだけいるのでしょうか。
「どうして自分で稼いだお金で買ったのに、いただきますなんて言わなきゃならないの?」そんなことを言う若い人が多いと聞きます。
仏法を聞かずに生きるとこうなってしまうのでしょうか。
自分は一人で生きているなどと思い上がってしまうのでしょうか。
私たちは一人では生きられないのです。誰かの世話になって、誰かのお支えがあって、誰からか許されて私の今日の生活があるのです。
繋がっているの者が幸せでなければ、残念ながら私は幸せにはなれないのです。
これは自然の道理、この世の道理です。
この道理(法)に反して生きていく者を【迷いの凡夫】と言うのです。
祖母は教えてくれました。「お前の繋がっている人をみんな笑顔にすることができれば、必ずお前は幸せになれるぞ」
この言葉を今も忘れずに頑張ってきました。
なかなか実践は難しいけど、そうなるように生きていく。
これこそが南無阿弥陀仏をお称えする者の生きる道でしょう。
私は何もできない愚か者ですが、【義理を大切にする】ことを心に刻んで生きています。ですから義理事を大事にする人が好きです。
皆さまは義理事を疎かにしていませんか?
周りを笑顔にして生きていますか?
今日も南無阿弥陀仏を心の灯火にしていきていきましょう。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
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