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執筆者の写真超法寺の住職

おかげさまを忘れずに生きる

皆さま、おはようございます。

今朝は風が冷たく感じられますが厚着無しでも過ごせるようになりました。春が近いのでしょうか。しかし油断なきようご案内いたします。


さて今日も都内へお参りに行きます。

どのような方々とお会いするのでしょうね。

阿弥陀さまに導かれ願われた今日を大切にして過ごしたいですね。

二度とない今日ですから。


蓮如さまの『ご文章』には、

「それ、人間の浮生(ふしょう)なる相をつらつら感ずるに、おほよそはかなきものはこの世の始中終(しちゅうじゅう)、まぼろしのごとくなる一期(いちご)なり。」〈白骨の章〉


意味は、

【人間の生涯は、川を流れる根無し草(浮草)のように、頼りになるものは何もない。全ては夢幻のようにはかない一生である。】


と、示されたお言葉です。

仏教は、縁起(えんぎ)•無常という法の中にあるこの世のすべてのものには、変わらない実体はないと、無我•空を説きます。


無我•空といっても何もないのではありません。縁によって仮にある。全ては仮有(けう)です。縁が変わればそのものも変わり、縁がなくなれば消えていく。

夢幻の如くはかないものです。

自然も、人間の世の中の全てが、幸も不幸も喜びも悲しみも全ては、【縁】によって仮にある夢幻のごときものです。

それゆえに仏教は、何事にも【執着】(しゅうじゃく)するな。そして何よりも、縁によって仮にある自己に執着するなと教えるのです。


縁によって生まれ生かされている仮有なる私が、自己に執着し、我執我欲(がしゅうがよく)の【我】を張って生きて行けば、自分も周りの人も、必ず不幸になります。


先ずは【今を受け入れ】、【おかげ】を忘れずに、そして他を思いやる心を大切に生きていきたいものですね。


言うのは簡単だけど、実際に実践することは大変難しいものですが、そう思いながら生きていくことが大切ではないかと住職は考えます。


み仏の誓いを信じ、尊いみ名を称えつつ、

強く明るく生き抜きます。


今日も南無阿弥陀仏を称えながら、私のすべきことを精一杯させていただきましょう。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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