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58の朝

更新日:4月1日

皆さま、おはようございます。

おかげさまにて58歳の朝を迎えました。

若い頃からの不摂生で主治医から「末田さん、このままだと43で死ぬよ」と言われたあの日を思えば、15年も儲け物の人生を歩ませていただきました。


まさかこれほど長生きすることができるなんて有難い以外には言葉が見つかりません。

当たり前などありません。

それぞれの役目を背負いながら生きている私たちです。

それが何かは分かりませんが、仏さまからの大きな願いが私たちには常にかけられています。


きっと私にはこの入間市に浄土真宗本願寺派のお寺を残すことではないでしょうか。

「少欲知足」と言いながらも、なかなか実際にはそう生きれずにいる私です。

偉大な我が父のようには到底できませんが、私なりにスモールテンプルを形にすることです。


お父さんはきっと58年前の今日は初めての子どもの誕生にヤキモキしたことでしょう。

お母さんはきっと人生初の出産を迎え大変な思いをされたことでしょう。

お母さんは生前「お母さんは幸せだったのよ」と笑いましたけどね。

そんなことも知らずに生まれてきました。


赤ちゃんの時の我が写真を見るたびに、「何を考えていたんだろうか、私は」なんて思う。

まさかこんな波瀾万丈な激動の人生となるなんて考えてもいなかっただろうね。


たくさん心配させ、たくさん悲しませ、たくさん泣かせてきた我が人生。

それでもやっぱりお父さん、お母さん有難う。

やはり貴方達の息子で良かった。

お父さん、貴方の後継になりたかったよ。

あの時、引き止めて欲しかった。

でも、そうはならなかった。

ずっと自問自答したこの10年でありました。


何もできない私でありました。

たくさんの人をヤキモキ、イライラさせてきたことでしょう。ま、私自身がイライラ、ハラハラ、ドキドキしてきた10年でしたからね。

よく辞めずに、辞めさせられずにここまで来れたなぁと、今は自分を褒めたい。

持病を抱えながら、常に無いお金に悩みながら、一歩一歩少しずつだけれでも前に進めてこれました。


まさかそんな私が自己物件を取得して寺院活動をするなんて。これもあなたたち、お父さん、お母さんのおかげでありました。

これから後何年生きることができるかはわかりませんが、お父さんの悲願「光真」を私はこの世に残して往生したい。ただこれだけが、愚息のお父さんへの感謝だと思う。

誰もやらないことをやる。

開教寺院の長男が開教をする。

私がするのはお父さんが唯一叶えられなかった「光真」じゃないかと私はずっと前から思っていた。


返せないほどの「義」であります。

形は変わってしまったが、超法山ならね「超法寺」という形できっとお父さんの無念を愚息が叶えたい。きっとお父さんは、「そんなこと考えていないぞ」って言うのでしょうが、私はあなたと55年一緒にいたからわかるよ。


今日から気持ちを新たに頑張っていきます。

一人住職だけど、超法寺を大切に思ってくたさる方がいますからやれるよきっと。

「やればできるよ、できるんだからやらなきゃダメなのよ」ですよね。


昨日、葬儀へ行ったご宗家から、山ほどの仏華をいただきました。超法寺一年分かも。

有難きしあわせですね。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

今日もお父さん如来さま、お母さん如来さま、有難うございます。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏


※ちなみに3月29日は、志村けんさんの命日でもあります。東村山〜🎵

南無阿弥陀仏

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