皆さまの親戚は何人いらっしゃいますか?
おじさん、おばさん、いとこ。
最近では悲しみの場でしか顔を合わせる機会がなくなりました。それどころか、あれほど当たり前にいつも顔を合わせていたのに今じゃ、忙しいとか、おじさん怖かったからとか、さまざまな大人の事情であうことすらできなくなってきました。
余程の深い縁があればこそ他人ではなく身内、親戚となれたというのに、さまざまな理由で仲良くできなくなってしまうのは本当に悲しいことですね。
私は先日の母の一周忌には伯母一人除いてまだ存命のきょうだいが一同にお参りくださいました。一番上の伯父は88歳。まだまだ元気に見えますがどうか長生きしてもらいたいと願っております。
また父の一周忌にも母のきょうだいが来てくれました。いかなる理由でしょうがおじさん、おばさんが来てくれたことは甥としては大変嬉しかったです。
だって56年もお世話になり、ずっと見ていてくれるのだから。
私たちにはお父さんがいてお母さんがいて、そのそれぞれにおじいさん、おばあさんがいて、そのおじいさん、おばあさんにも親がいます。
そんな風に考えていくと私たちの命のつながりというものは、どんどん増えていきます。
ご先祖は、私からたった10代遡るだけで1.034人もいるそうです。
その全ての方がいればこそ、私が今ここに存在することができるのです。
これは間違いないことであり、決して忘れてはならないことでしょう。
お父さん、お母さんがこの世からいなくなるのは失ってみると半端ない喪失感であります。
人間は死ななくなると種が滅びるのだそうです。子孫を残せば、子孫を育てることで自らの存在を明らかにしてくださいます。
私たちの親は、生前は鬱陶しかったり、嫌だったりしたけれど、間違いなく誰よりも私の誕生を喜んでくれた人であったのです。
だからこそ、私は今もここに生きているのです。
死んで終わる、そんな寂しいものではないのです。私の命は私のものかもしれませんが、それでも私を私としている大きな大きなものがあればこそなんですから。
一人なんかじゃないよ。
離れていても、いつも一緒だよ。
寂しかったら、悲しかったら、一度その口に
南無阿弥陀仏【ナンマンダブツ】と称えてごらん。仏さまが、【あなたのことは私(阿弥陀)が責任をもって必ずしあわせにするからまかせてね】と、呼んでいてくれます。
手を合わせて、自分の耳に聞こえるくらいでいいから、【ナンマンダブツ】と声にしてごらん。あなたのお父さんがお母さんが、あなたの名前を呼んでいてくださいますから。
そんなことを思いながら、昔の写真を見ていたら杉並区永福の築地本願寺和田堀分院の池のなかった頃の写真が出てきましたよ。
この風景知っている人は意外に少ないかもね。
ちなみに超法寺の門徒、第一号、第二号さまは和田堀分院で帰敬式(ききょうしき)を受けてくださいました記念の場所であります。
明日は朝から横浜までお葬式だから早く休まなきゃね。おやすみなさいませ。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
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