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執筆者の写真超法寺の住職

いつまで知らずにいるのか

更新日:2023年9月23日

皆さま、こんにちは。

久しぶりに一日雨が降り夏の暑さから解放されています。有難いことですね。しかしながらまだまだ来月まで暑さは続くそうであります。

だからこそ、暑くてもよい、涼しくてもよい、とどちらでもよい生き方をしたい者です。


明日は超法寺の秋季彼岸会です。

先程、仏華を活けました。

この度は新たに曲録をいただき、またお寺らしくなりました。有難いことです。

足元が悪い中になりましょうが是非お参りくださいますようご案内いたします。


九條武子さまの詩をお味わいさせていただきました。有名な詩ですから皆さまもご存知だと思いますがご一緒にお聞かせいただきましょう。


【いだかれて ありとも知らず おろかにも われ反抗す 大いなるみ手に】


九條武子さまは、明治二十年、西本願寺の第二十一代宗主•明如上人の子どもとしてお生まれになられました。

仏教婦人会の祖として、また関東大震災の際には被災者の救援活動にご奮闘されました。

また歌人としても知られ、『無優華』などを発刊されています。

四十二歳という若さでご往生された武子さまの人生は、ご苦労ばかりではなかったのでしょうか。有名な話に自らお亡くなりになる直前にお兄様にお願いして法話を聞かせていただいたそうです。私もその時が来たらお聞かせいただきたいものです。


武子さまは、常に我が身を厳しく見つめながら、阿弥陀さまのご信心をいただかれながら、御恩報謝の営みに努められたように感じます。


必ず救う、まかせよと、お聞かせいただきながらも、未だに南無阿弥陀仏を声にされず、お寺でのお聴聞も怠り、未だに占いやお守り、はたまた死んだら天国に行くなどと思ってしまう生き方をしてはいませんでしょうか?


それではいけません。

何度も何度も、九條武子さまの『いだかれて•••』を読み返していただきたいですね。

明日は櫻も帰ってきます。 やはり元気印がいませんと寂しいです。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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