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親からの声がけは大切

更新日:2023年11月1日

夜分遅くに失礼します。

ふと思ったけど、そう言えば最近ではあまりお母さんが学校へ行く子どもたちに「いってらっしゃい」って声がけを聞かない気がする。

たまたまかな、そうならいいけどね。


私が小学生の頃、朝家を出る時にお母さんが「いってらっしゃい」と言ってくれていました。あの声は魔法のようでした。

だって学校まで、ずっと「いってらっしゃい」が付いてくるんだから。

「いってらっしゃい」には、「気をつけてね」、「頑張ってね」もセットになっていたから。お母さんは学校まで側にいてあげれないけど心配してくれていたんですよね。

ひとりぼっちじゃないんだね。

そう感じるくらいに大切なことなんだと今更ながらそう思います。


今は両親も往生し、一人暮らしの毎日だから余計にそれが懐かしいし心地よく聞こえます。

私には今は「南無阿弥陀仏」の声となり、いつも私に寄り添っていてくださいます。


「頑張って」

若い人は、「ガンバ」とか言っていますね。

そもそも「頑張る」とは、「自分勝手な考え、わがままを押し通す」という意味の[我(が)に張る」が変化したものと言われています。


「困難に負けずに努力する」という意味で使うならいいですが、「頑固に意地を張って自分の説を押し通す」ということなら感心しません。


そう言えば最近、自分の非を詫びるのに「言い過ぎました」という言葉で謝られて逆に不快な気分になりました。言葉って大切ですよね。

使い方ひとつで嬉しくも腹立たしくもなるのだから。


「頑張る」は中国語では油を加えると書いて「加油」(ジャーヨウ)というから面白いですね。英語では、特に決まった言い方はなく、状況によって言い方が変わる。

例えば、「ドゥユアベスト」(do your best)は「最善を尽くせ」だし、「ハンギンゼア」(hang in there)は「勇気を出せ」だし、「ホールドアウト」(hold out)は「あきらめるな」という意味になります。


お母さんが試験に出かける子どもを見送るときなどには「ドゥユアベスト」(do your best)と言います。

「最善を尽くすことこそ最も大事」という気持ちが表れていて、とても素晴らしい言葉だと思います。


人間であれば誰でも失敗はします。ミスをどう扱うかによって受け入れられるか、拒否されるか。私は学生の頃、先輩からは負けたから格好悪いんじゃない。負けたことを認めずに言い繕おうとする姿勢、態度が格好悪いんだぞ、覚えておけよ。と言われました。

大人になったというのにきちんと詫びを入れられないことは恥ずかしいことだし、格好悪いと私は思うのです。

私は「負け勝ち」を実践しています。


自分のプライドを優先して、詫びることができない、だから周りからは信頼されない。信頼されないからいつも一人なのだ。


阿弥陀さまの誓願を受け入れて生きるとは、阿弥陀さまに恥ずかしくない生き方をすることじゃないかと私は思うのです。

恥ずかしいということは、一人じゃないからですよ。

人って誰も見ていないから悪いことしちゃうんですよね。だから暗がりとかは犯罪が起きやすいって言うじゃないですか。

また、自分は偉いとか、地位や名誉があると虚勢をかうことがままありますね。

私はやはり先輩から、手は必ず前にしなさいよ。手を後ろに組んだら偉そうに見えるからな。そんな偉くないんだから手は前だぞ。

そう教えていただきました。

確かに社長さんとか地位や名誉がある人って、「えっへん!」とふんぞりかえる。

だから頭を下げるのは自分じゃなくて、部下が下げるのですね。

だからこそ、阿弥陀さまを深くいただくと自分は小さいと知らされます。

だって偉いのは自分が頑張ったからだけじゃないから。周りの皆のお力があればこそそうなれたんだね。そういう人とのつながりに気づいて感謝することに気づかされますね。

そうすると人間関係はよくなる、うまくいくと思うのです。


だから、「我を張る」、自分の言いたいことを優先して突っ張って頑張る生き方をしていたら、結局は自分の社会生活も人間関係もうまくいかないと知らされますね。

「我を張らない」頑張りも必要ではないかと思います。


皆さまも、どうかご家族に優しい言葉をかけてあげましょう。そうすればきっと皆しあわせになれるはずですからね。

南無阿弥陀仏


おやすみなさいませ。

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