「ともかくも あなた(如来)まかせの 年の暮れ」小林一茶[57歳]
52歳で結婚。
長男が生まれますが、一月も生きずに亡くなり、56歳で長女が生まれ、「這え笑え、二つになるぞ 今朝からは」と喜んだのも束の間、
「終に、6月21日朝顔の花と共にこの世をしぼみぬ。母は死に顔にすがって、よよよよと泣くも宜(むべ)なるかな。この期に及んでは、行く水の再び帰らず、散る花の梢(こずえ)に戻らぬ悔いごとなどと、あきらめ顔しても、思い切り難きは、恩愛の絆也けり。露の世は、露の世ながら、さりながら」身命(いのち)のはかない事もよくよく知りながら、諦めきれない、我が娘を亡くした悲しみをさらけ出しています。
「合点して 居ても寒いぞ 貧しいぞ」
人間は、知識•教養で生きてはおりません。
「わかっちゃいるけど止められない」という、
煩悩いっぱいのこの身の都合で生きています。
そこに踏み込んで、そのまま抱きとって、必ず救うという阿弥陀さまに遇わない限り、煩悩具足の凡夫に救いはありません。
その年の12月29日、人生、善し悪しの何事があろうとも、全ては阿弥陀さまにおまかせして、今年も暮れていきますと、冒頭の句を詠まれた小林一茶さんでありました。
「ともかくも あなた(阿弥陀)まかせの 年の暮れ」
ナンマンダブツ、南無阿弥陀仏。
他人事ではございません。
生まれるとは、「死」を抱えて生まれてきたのです。私もあなたも例外なく。
だからこそ、死んだらどうなるという答えが出ない人生は、この悲しみ、苦しみを乗り越えていくことはできません。
小林一茶さんは念仏者でありました。
「今」からでも間に合います。
ナンマンダブツを称えてみてください。
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