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境遇に振り回される

執筆者の写真: 超法寺の住職超法寺の住職

更新日:2023年3月2日

皆さま、おはようございます。

毎日寒暖の差が激しくなってきましたね。

季節の変わり目です、もう春が目の前です。

今日から3月です。


春季彼岸の季節です。

彼岸はお墓参りを縁として参ってくだされた西方浄土の世界をお聞かせいただく大切な行事で仏教行事としては日本独自のものです。


未だに人が亡くなると【天国】が飛び交う悲しいことです。そんなに簡単に行ける世界ではありませんし、仏教徒が行く悟りの世界ではございませんよ。


さて今日は真宗大谷派の僧侶、暁烏敏さんのお言葉をお味わいします。

清沢門下の三羽烏の一人と謳われた暁烏敏さん。彼の言葉を通して私たちの生活、日暮しを振り返ってみたいです。


「われわれの心は境遇に対して発動するものです。われわれの周囲は、順境と逆境と二つある。自分の心に叶うたものは順境といい、叶わぬものは逆境という。

順境に対しては貪欲(とんよく)が起こる。

逆境に対しては瞋恚(しんに)が起こる。

われわれの生活の状態を見ると、人々の周囲は順境と逆境の回転(えてん)である。

周囲が順境と逆境とを回転するとき、自分の中に起こるものは貪欲•瞋恚よりほかに何もない。ふっと見ると人間には五官の末梢神経の刺激に応じていくというより何もない。

撫でられればうれしい。殴られれば腹が立つ。

ほめられればうれしいが、謗られれば腹が立つ。これより何もない。こういうようになります。」(「水火中間の白道」1932

(昭和7)年



いかがですか。

いつの世も私たちはこれで争い、苦悩するお互いです。普段は優しく朗らかでも、一瞬で変わってしまうのであります。

人間は煩悩(欲)で生きます。

動物は本能で生きています。


どちらが恐ろしいのでしょうか。

私には煩悩が恐ろしい。

死ぬまでこれからは逃れられないから。

そんな私たちが死ねば仏さまになるなんて、これくらい不思議な世界はありませんよ。

でも死んだだけでは仏さまにはなれません。

そんなに甘くはありませんよ。


阿弥陀如来に遇うしか私が仏さまになるなんてないのだから。

南無阿弥陀仏の声を聞くことは簡単のようで実に難しいです。

ましてや私の愚痴や他人の悪口ばかり軽やかに言う口から南無阿弥陀仏の声が出てくるなんて不思議を超越した不可思議な世界だと思います。


皆さま、称えられますか?


試しに称えてみてくださいよ。

南無阿弥陀仏、ナンマンダブツ、なまんだぶ••••。

もし称えられたら、もういただけている証です。もう阿弥陀如来さまが救うていてくださる【証】ですから、もう安心していいですよ。


これからは南無阿弥陀仏と共に生きていけば必ず仏さまにならせていただけます。


だから疑わずに、阿弥陀如来さまとご一緒の日暮らしをしていくのです。


【み仏の誓いを信じ、尊いみ名を称えつつ、強く明るく生き抜きます】



今日一日は、永久に戻らぬ一日


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、

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